こんにちはSMOKERです。
日本古来の漁業「鵜飼」。
夜に川に舟を出し、舟先のかがりびで水面を照らして鮎を驚かせ、動きの鈍った鮎を鵜が捕まえる漁法でありますが、日本では1400〜1300年前ほどから全国各所で行われていたそうです。
学校の教科書やテレビなどではご覧になられた方は多いでしょうが、実際に見た方は多くはないはずです。
夜のかがりびに舟、そして鵜のコントラストは何か神秘的で、異空間にいるような感じまでさせられます。
古き良き伝統には、本当に古人達の想いや願いが伝わって来ますよね。
ましてやそれら伝統文化に使用される道具や器具には更に職人達の魂が込められているのではないでしょうか。
「鵜飼」には鵜の調教は勿論のことではありますが、「鵜匠」達が乗る舟も重要です。
現在の舟といえば、木造船ではなく繊維強化プラスチックで作られたものがほとんどだそうですが、「鵜飼」に使う「鵜舟」は木造船であるため造り手の後継者不足に悩まされているのだそうです。
しかも、本格的な「鵜舟」を造る職人は日本に2人だけとなっています。
そのひとりでもある「那須晴一(なすせいいち)」さんという方がおられます。
後継者不足に悩む「鵜舟」に「那須晴一」さんがご高齢でありながら一役買ってくれている事に感動を覚えました。
では「那須晴一」さんとはどんな方なんでしょうか。
那須晴一さんの人物像。
引用:https://www.forest.ac.jp/academy-archives/2017ukaibune_project/
1931年岐阜県出身。 89歳(令和3年現在)。
学歴:岐阜県立武義高等学校。
職業:船大工(川船)。
中学生の頃から、父親がする船大工の仕事を手伝い、高校卒業と同時に父親に弟子入りしたという「那須晴一」さんでありますが、師匠の父親から技術の基本と要を丁寧に教わったといいます。
最低でも10年以上の歳月をかけ、一通りの技術が身につくといわれる川船の船大工てありますが、「那須晴一」さんも、1人で船を仕上げるまでになったのは30歳になる頃だったといいます。
それだけの鍛錬や技術習得に歳月を掛けなければ行けない船大工の難しさは、川で命をかけて漁をする人達の命を守る宿命もあると感じました。
小さな舟なら1か月かからず、作ってしまうという「那須晴一」さんの職人魂は、ご高齢であっても関係ないのでしょうね!(現在は作っていないようです)。
ものを造る職人さん達の気持ちがこもったものだからこそ、長い時代を乗り越えてきたのだと思います。
那須晴一さんが作る鵜舟とは?
那須晴一さんは、アユ漁のための木造船を作っていますが、鵜飼を見物するための大きな屋形船も作る事があるそうです。
今の繊維強化プラスチックに比べると木造の船の耐久性は10年から15年だそうで、メンテナンスの手間もかかるそうですが、軽くて操作がしやすく安定性や川の環境に合わせることも出来ることから、注目度が増しているようです。
しかし、後継者が少なく問題もたくさんあるようです。ご高齢で大変ではあるでしょうが「那須晴一」さんには、持てる技術を少しでも後世に残して頂きたいと願います。
九谷焼の赤絵細細描でエルメスの文字盤も!
那須晴一さんの職人技術。
長良川鵜飼の「鵜匠」が使う六隻のうち四隻が「那須晴一」さんの手によるもので、今まで少なくても600艘は作られているそうです。
図面があるわけではなく、船大工の経験やノウハウだけで一隻の舟を作る技術は、直接教えてもらう事でなければ、受け継いでいくことは難しいのでしょう。
那須晴一さんは海外からも注目。
「鵜飼舟」を作ることの出来る船大工「那須晴一」さんを含め2人しかいない現在ではありますが、アメリカ人の和船研究者であり、船大工の「ダグラス・ブルックス」氏により、一隻の「鵜飼舟」を製作するといったプロジェクトもされております。
技術の継承があやぶまれている「鵜飼舟」をなんとしても残したいといった「那須晴一」さんと取り巻く岐阜県や周囲によって、日本の伝統的な技術を後世に残して欲しいと願います。
いかがだったでしょうか。
那須晴一さんの船大工としての伝統技術だけではなく、他多数も日本における伝統文化が後世に残せなくなる現状が多数あるかと思います。
私自身も少しでもそういった素晴らしい伝統や技術を未来ある子供達に残していけるように微力ながら応援していきたい思います。
最後までお付き合い頂きありがとうございます。
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