こんにちはSMOKERです。
昭和の子供達の遊びの中に竹やタコ糸を使い「弓矢」を作って遊んだ!なんて記憶がある方もおられるのではないでしょうか。
日本では古来から“武道”として「弓道」といったものがありますが、海外の方からすると「アーチェリー」といった競技があります。
日本においては、まだ歴史は浅いとされている「アーチェリー」ではありますが、健常者であっても障害を持つ方であっても、神経を集中させ的を射抜く姿には熱くさせるものがあるのではないでしょうか。
さて、そんな「アーチェリー」競技においてパラリンピック・アーチェリー日本代表の「上山友裕(うえやまともひろ)」さんの実績はもちろんの事、友や家族との関わりがとても素敵な事に気になってしまいました。
では、パラリンピックアーチャーの「上山友裕」さんとはどんな方なんでしょうか?探っていきます。
上山友裕さんについて。
明日の「めざまし8」にEXITさんと出させていただきます
イグジーポーズを僕のパラリンピックの試合のどっかで披露させていただきたいと思います✌️
ぜひLIVE中継で楽しみにしておいてください😁#EXIT#りんたろー。 さん#兼近 さん pic.twitter.com/6uPXuemnd0— 上山友裕 / Tomohiro Ueyama(ともひー) (@51tomoro) August 8, 2021
1987年8月28日生まれ。
学歴:同志社大学卒業。
所属:三菱電気。
高校の時に友人に誘われて「アーチェリー」に出会ったという「上山友裕」さんは、大学に入るとアーチェリー部に入り本格的に競技を始められたのだそうです。
元々は、ラグビー少年だったということもあり抜群の運動能力と瞬発能力を兼ね備えていた「上山友裕」さんは、「アーチェリー」を始めた短い期間であってもレギュラーを獲得、関西大学リーグに出場するなどの目覚ましい活躍をされていました。
しかし、社会人1年目の2010年の冬に原因不明の病気を発症し、足が麻痺してしまったのだそうです。
それでも、ラグビーで鍛え上げた不屈の精神において「アーチェリー」を続け、国内パラリンピック初出場において2位を獲得するなど、一切の障害を感じさせない競技姿勢には、パワフルかつ豪快さを感じさせられます。
その後も、国内で常に上位に位置されている「上山友裕」さんは、日本を代表するパラアーチャーとして活躍し続ける方であります。
上山友裕さんの出身は?
東大阪市スポーツみらいアンバサダーに就任されている「上山友裕」さんは、生粋の関西人であります。
“超絶プラス思考”という思考であるといったように商人魂のちゃきちゃきなハングリー精神とでもいうのでしょうか!
関西の方は、街自体がそうなのか?前向きな方が非常に多いです。
そんな「上山友裕」さんは「大阪府東大阪市」出身の方であります。
上山友裕さんの実績。
2015年 パラアーチェリーワールドイベント
リカーブ男子 1位(アメリカ)。
2016年 リオパラリンピック
リカーブ男子 7位。
2019年 パラアーチェリー世界選手権大会
リカーブ男子 6位(オランダ)
2020年 東京パラリンピック
男子リカーブ個人 17位。
混合リカーブ団体 5位。
他多数の競技において、上位の好成績を残されている「上山友裕」さんであります。
車いすテニス界の世界レジェンド!
上山友裕さんの病気は?
小学生の頃から「ラグビー」を始め、足腰が丈夫であったことは間違いのない「上山友裕」さんではありますが、何の因果か2010年の冬、社会人1年目として働き出した頃だったといいます。
友人から歩き方が内股で不自然と言われていたことや仕事帰りに足がついてこなく座り込んでしまうなど、下半身に違和感が度々あったのだそうです。
病院に行っても始めは原因がわからなかったといいます、しかし後にわかった病名が「両下肢機能障害」という診断を受けます。
大人になるまで、何もない健康体であってもいつどこで、どうなるかは誰にもわからないものですね。
しかし、気に留めることなく真っ直ぐ自分を保ち突き進む「上山友裕」さんの姿には、勇気や希望といったものを凄く感じてしまいます。
上山友裕さんの家族や友も素敵。
今日、東京パラリンピック最後にやる事である、仲さんへクイバーを返却してきました🏹
これで僕の東京パラリンピックは終わりです
みなさんありがとうございました😊さぁ次はどんな楽しい挑戦を発信していけるかな🙃
漢字間違ってたので再投稿です#パラリンピック #仲喜嗣#パラアーチェリー pic.twitter.com/ZuUdekWl66
— 上山友裕 / Tomohiro Ueyama(ともひー) (@51tomoro) September 12, 2021
何事にも後ろ向きにならずに”超絶プラス思考”といった「上山友裕」さんには、家族でもある父親の影響も強かったのだそうです。
何もいわず「アーチェリー」に対しての資金援助や自宅のガレージに近所から使用しない畳をかき集めて作られた練習場など、会話は多くなけれど親子の絆はしっかり把握出来るといった親子関係は素敵すぎであります。
また、年が親子ほど離れているがアーチェリーの先輩として、遠征や合宿でいつも隣にいて東京パラリンピック日本代表に内定していた「仲善嗣(なかよしつぐ)」さんも大きな存在だったそうです。
東京パラリンピック内定をしながらも「仲喜嗣」さをは病気のため他界され出場叶わずとなったが、友であり「アーチェリー」の戦友として「上山友裕」さんは、「仲善嗣」さんが使っていた”矢入れ」と共に東京パラリンピックに出場されたのだそうです。
華やかな輝かしい大会であっても裏では様々な人間くさい「上山友裕」さんのドラマには、心打たれてしまいます。
誰しも、それぞれのストーリーがありますでしょうが、人は1人では中々生きてはいけないのだと改めて感じさせられてしまいますよね。
いかがだったでしょうか。
身に降りかかる災難を、災難として微塵にも感じさせない「上山友裕」さんのアスリートとしての姿には、今後も注目しない訳にはいかないはずです!
これからも新たなストーリーを築いていく「上山友裕」さんには更なる飛躍を期待しております。
最後までお付き合い頂きありがとうございます。
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