こんにちはSMOKERです。
人生で一度は宇宙へ旅をしてみたいと考えた事があるでしょうか。
幼い頃に見た映画「2001年宇宙の旅」では衝撃を受けた方も多いのではないでしょうか(古すぎる・・。)
宇宙ステーションでの生活、地球とは違う惑星での探索など今では現実のものとなっております。
昔とは飛躍的に宇宙への距離が縮まった現代ではありますが、一般人でも普通に宇宙に行けるようになるのも近い将来ではないでしょうか。
そんな宇宙に先立って旅立っている宇宙飛行士達の中に日本で初となるISS(国際宇宙ステーション)の船長として188日間も宇宙空間に滞在していた「若田光一(わかたこういち)」さんがおられます。
また奥さんの「シュテファニー・フォン・ザクセン・アルテンブルク・若田」さんの家柄も凄いのです。
では「若田光一」さんと奥さんとはどんな方なのでしょうか。
若田光一さんの人物像。
こんにちは、Facebookチームです。 「地球発宇宙ステーション行き」、そして「宇宙ステーション発地球行き」の搭乗券が宇宙旅行から帰ってきました! この搭乗券は2013年11月7日の打上げからおよそ6カ月にわたり、JAXA…
1963年8月1日埼玉県大宮市出身。 57歳(令和3年3月現在)。
職業:宇宙飛行士・博士・技術者。
学歴:九州大学工学部卒業。
子供の頃は、早起きしてクワガタやカブトムシを獲ったり、夕方暗くなるまでザリガニ釣りに没頭するなど自然の中で自然の生き物達と過ごしたという「若田光一」さん。
小学生になると、リトルリーグでの野球や模型飛行機を作って飛ばしたりしていたそうです。
普通の子供生活を送られていましたが、小学生の頃から飛行機にとても興味を抱き、航空機のエンジニアになりたいと思い始めたといいます。
その後1989年大学を卒業後に、小学生の頃からの夢であった、日本航空株式会社にエンジニアとして入社。
1992年に宇宙開発事業団(現JAXA)が募集した宇宙飛行士候補者に選抜されるまでとなります。
人類に貢献出来る仕事がしたいとの事からの応募であったそうで、凄く壮大なビジョンで活動されていたのでしょうね!
1996年日本人初のミッションスペシャリストとしてスペースシャトル「エンデバー号」に乗り込み、日本の人工衛星をスペースシャトルのロボットアームで捕まえる事に成功させます。
2000年には、日本人宇宙飛行士として初めて国際宇宙ステーション組み立てに参加され、得意のロボットアーム操作で構成要素を取り付けされています。
日本人初の活躍を宇宙でされた「若田光一」さんの強い思いと情熱というものがなければなし得ない事ばかりではないでしょうか。
日本人初のISS船長。
#今日は何の日
6年前の5/14に第38次/第39次長期滞在クルーとしてISSに滞在していた若田光一宇宙飛行士が、ソユーズ宇宙船(37S)に搭乗し地球へ帰還しました。約188日間の滞在で、滞在期間の後半は日本人初となるISS船長(コマンダー)を務めました!
👉コマンダーへの道https://t.co/CxzNXneIE0 pic.twitter.com/rHhyDh4HVZ— JAXAきぼうフライトディレクタ / JAXA Flight Directors (@JAXA_JFLIGHT) May 14, 2020
2014年に国際宇宙ステーション(ISS)に滞在していた「若田光一」さんは、これまでステーションの計画を主導とする米国とロシアからしか船長は就任されていませんでしたが、2か月もの間第39代船長として活躍されました。
国際宇宙ステーション(ISS)は米ロ日欧など15ヶ国・地域の協力で運用され、地上から400キロメートルの宇宙空間を周回しています。
世界の代表となったと言っても過言ではないですよね!
若田光一さんの奥さんの家柄。
何と「若田光一」さんの奥さんは、ドイツの貴族プラシューマ家「プランツ・フォン・ザクセン=アルテンブルク」公子のご長女であったのです。
普通に生活をしていれば、貴族などに出会う事もありませんよね。
さすがは世界の代表も務める宇宙飛行士「若田光一」さんであります。
スペースXクルードラゴンで宇宙に挑戦!
若田光一さんの現在の活動。
2020年よりJAXA特別参与、宇宙飛行士として任務を継続中との事でありますが、2022年ごろと2023年ごろに国際宇宙ステーション(ISS)にまた長期滞在する事が決定しております。
これまで4回の宇宙飛行を経験されている「若田光一」さんでありますが、ベテランの宇宙飛行士というのも中々ありえない事ですよね。
日本とそして世界の夢をのせて無事に行ってきて欲しいと願います。
若田光一さんの名言。
「若田光一」さんの数々の名言がある中で、1番の印象が残っている言葉があります。
日本人初となる国際宇宙ステーション(ISS)の船長を務める理由として、数々のミッションをクリアした実績と、いかなる不測の事態にも冷静に対応と穏やかな人格があったからこその「若田光一」さん曰わく。
日本人の『調和』の精神を忘れず、チームをまとめていきたい!と何か心にグッとくる名言があります。
言葉多くではありませんが、凄く伝わってくるものがありますよね。
全ての苦労や苦悩を経験したからこその言葉ではないでしょうか。チームとして行動する方々には重い言葉と感じるのではないでしょうか。
いかがだったでしょうか。
日本初を宇宙でこなしていく「若田光一」さんではありますが、宇宙飛行士としてもさることながら、技術者としての貢献がとても凄いですよね。
手先の器用な日本人のイメージをそのまま世界に知らしめてくれているのではないでしょうか。
次回宇宙への飛行も50代後半ともなりますが、若い人達にはない経験で乗り切って頂けたらと思います。
最後までお付き合い頂きありがとうございます。
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