こんにちSMOKERです。
日本の伝統芸能は何種類あるのかご存知でしょうか?沢山の種類があり把握しきれないのが現実です・・。
現代、主に知られている伝統芸能であれば「落語」・「歌舞伎」・「能・狂言」・「日本舞踊」・「舞妓・芸妓」・「人形浄瑠璃・文楽」などでしたらご存知な方も多いのではないでしょうか。
日本の伝統文化が色濃く残っている「京都」では、「舞妓・芸妓」さんが今でも良く見かけるのは皆さんご存知かと思います。
そんな京都・祇園のお座敷で「舞妓」さんが舞う「京舞井上流」は、主に女性を担い手として活動して来たといわれます。
今回そんな「京舞井上流」の家元「井上八千代」(五世)について調べてみました。
井上八千代(五世)に迫ります。
井上八千代とは?
井上八千代(いのうえやちよ)とは、京舞井上流家元の名跡となります。
では「井上八千代」(五世)はどのような方なんでしょうか。
1956年11月28日京都府京都市生まれ。 64歳(令和2年現在)。
本名:観世三千子。(旧姓 片山)
学歴:私立ノートルダム女学院高校卒業。
京都で生まれた「井上八千代」(本名三千子)さんは、2歳から舞の稽古を始められたそうです。
そして14歳で名取となります。まさに舞踏のサラブレッドといって良いでしょうね!
ちなみに「名取」とは、芸道において一定の技能を修得して師匠より芸名を許されること、許された人の事を云います。
1975年に高校を卒業と同時に、学校法人「八坂女紅場学園」(祇園女子技芸学校)の舞踏科教師となります。
若いながらも、生徒さんを抱えるまでの舞踏の腕前は血筋や才能なんでしょうかね。
そして2000年に五世家元として「五代目井上八千代」を襲名されます。
井上八千代(五世)と先代四世の関係。
先代の井上八千代(四世)は母親だろうと思う方は多いでしょうが、四世家元は、母親ではなく祖母の「片山愛子」さんになります。
初代「井上八千代」から始まるとすでに200年以上の歴史をもつ「京舞井上流」。
「井上八千代」の名は、初世が仕えていた近衛家を辞する際に「玉椿の八千代まで汝の真情は忘れぬぞ」といった言葉を掛けられたことに由来するそうです。
そして初代の姪が二代目に、明治期に活躍した三代目、20世紀を代表する名人と言われた祖母である四代目と受け継がれ、今現在の「井上八千代」(五世)となっております。
親子関係以外にも襲名された方がおられるのですね!まだまだ日本の伝統文化は奥が深く、面白くもあります。
井上八千代(五世)の人間国宝時の年齢。
井上八千代(五世)が「人間国宝」に認定されたのは2015年!
当時50代での認定はとても異例と言われるほどの若さでした。
「京舞井上流」は祇園甲部内だけの舞の流派であって、外の流派のごとく全国規模の流派ではないそうです。
名取になったとしても、祇園町の外で稽古場を持ってはならなく、名取になっても舞のお師匠さんにはなれないのだとか。
300メートル四方の狭い地域に伝承されている小さな流派。
御所の御殿舞に源流を発し、その後、人形浄瑠璃や能楽の影響のもとに今日まで伝承されてきた希少価値のある座敷舞であることこそが、若くして「人間国宝」になった理由とされます。
日本の伝統芸能とは?
井上八千代(五世)の家族。
井上八千代(本名三千子)さんのご家族もすごい経歴の持ち主です。さすがの家系といったところです。
祖母の四世家元、四代目井上八千代は1955年に「人間国宝」に認定され、父親は「能楽シテ方観世流」の「片山幽雪(ゆうせつ)」さん。こちらの父親も「人間国宝」に認定された人物となっております。
男は「能楽師」・女は「京舞」を継承していく家柄のため、日本の伝統文化を継承していくために定められた家柄ともいえます。
素晴らしい「家柄」や「伝統」があるかもしれませんが、何かしら、しがらみや文化の為に犠牲になっている部分もあるのだろうと感じてしまいます。
生まれた家柄が伝統的な家系だったが為に、自由や考えが奪われてしまっているのもあるのではないでしょうか。
そうした苦労がある為に、今までの素晴らしい日本の伝統文化が残されて来たのかと思うと、当事者たちの思いや気持ちを今以上に取り組むことが出来ると思います。
いかがだったでしょうか。
一重に日本の伝統文化と言っても、その家柄に生まれた定めとして沢山の苦労をされているかと思います!
しかし、その苦労が今の日本の伝統文化になっている事も現実です。だからこそ華麗であり、綺麗でもあり素敵な「日本の心」となっているのではないでしょうか?
この先何百年も、この日本の文化を守るために「京舞井上流・井上八千代」を守っていって欲しいと願います。
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