廣中邦充(やんちゃ和尚)は問題児の駆け込み寺住職。最後まで更生に力を注ぐ。

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こんにちはSMOKERです。

 

今も昔も、非行や不登校・虐待やいじめなど様々な問題が子供達を取り巻く事があります。

 

子供の頃には、わかっていても抑えきれない衝動は誰しもあったのではないでしょうか。

 

自分が親になった時に気付かされる、気付く事もたくさんあるでしょう。

 

家庭環境、親の問題も去る事ながらいかに子供達を笑顔に、そして健やかに育って貰えるかが永遠のテーマと私は思います。

 

世間には、様々な理由から親元では暮らせなくなる子供達が沢山います。

 

いつ自分の子供達がと・・親であれば不安がよぎる事もあるかもしれません。

 

そんな、心の問題を抱えた子供達を無償で預かり更生に向かわせていた住職がおられました。

 

亡くなった今でも影響を与え続ける「廣中邦充(ひろなかくにみつ)」和尚の子供に対する活動がとても感動です。

 

では「廣中邦充」和尚とはどんな方だったのでしょうか?

 

 

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廣中邦充和尚の人物像。

 

1950年8月28日愛知県岡崎市出身。 2019年4月16日永眠。

 

愛知県岡崎市真福寺町で「西居院」住職の次男として生まれ、地元ではかなりのワルで何度も警察のお世話になっていたそうです。

 

高校時代の恩師の支えから徐々に更生されたようで、大学(大正大学)にも進学されます。

 

大正大学仏教学部卒業後、なんと「ソニー」に入社され、販売会社へ出向し、全国トップの営業成績を記録するほどに!

 

退職後は色々な企業を経営するなど商才はかなりのものだったのではないでしょうか。

 

1990年、20代目住職だった父親が病気で倒れたため、「廣中邦充」さんが21代目住職に就任されます。

 

1996年頃から10年以上にわたり自らの寺「西居院」で、心の問題を抱えた少年少女達を無償で預かるようになったそうです。

 

自身の経験があるからこそ、子供達と真剣に向き合う事が出来る方だったのでしょうね。

 

子供達も知り合う人によって全然違った成長があるでしょうし、良い影響を与える方々と触れ合う機会を与えてくれていたのだと思います。

 

駆け込み寺になったきっかけ。

 

自身も学生時代にかなりの問題児だったといいます。だからこそ、子供達の気持ちが手に取るようにわかったそうです。

 

「廣中邦充」和尚が荒れた理由としては、貧乏寺が嫌だった事と厳格な父親への反抗心からで、高校生の頃に傷害罪で逮捕されかけた事もあったと言います。

 

しかし、手をやいていたはずの担任教師が、警察署で泣きながら土下座をして説得してくれたそうです。「廣中の面倒をみて必ず更生させる」と・・・

 

約束通り、教師の家で一カ月生活し、とことん面倒を見てくれたといいます。その心の支えによって更生出来たのだそうです。

 

子供を引き取るきっかけも自身のそういった経験や、「廣中邦充」和尚の長男が通う高校のPTA会長を務めた際、余りに退学者が多く、それぞれの家庭に問題があった事を知ったのだそうです。

 

それをそのまま見過ごすことが出来ず「寺に来い!」と声をかけ、侵食を共にした事から始まりました。

 

教師にされた事を実際に自身でも行うとは、それだけ心に刻まれたものがあったのでしょうね!

 

金八先生やスクールウォーズなどのドラマもかなりの印象としてアラフォー世代には残っているのも納得出来るように感じます。

 

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子供の更生について。

「廣中邦充」和尚の子供に向き合う姿勢は真剣で、「夕食は必ず一緒に食べる」・「門限は守る」「部屋には閉じこもらない」と三つのルールがあるそうです。

 

そして、叱る時は徹底的に怒鳴り叱りつける。その後はとことん愛情を伝え、体を張って子供を守る。

 

悪いグループから抜けさせるために、暴走族や暴力団の組長に直談判したエピソードもお持ちです。

 

親も子供も分け隔てなく怒鳴り、諭すその姿は、真剣に本人達に向き合う姿勢からではないでしょうか。親には、「子供が発するSOSに気づいて欲しい」と訴えています。

 

忙しい生活ばかりに目が向き合き、子供を見ているようで見ていない親御さんに対するメッセージも痛烈にあるかと思います。

 

自分に置き換えても本当に子供と向き合っているのか?と自信が持てるように日々精進しなければと考えさせられます。

 

地域で子育てに取り組む「やんちゃま食堂」

 

廣中邦充和尚の最後。

 

2012年に肺がんにかかっている事が発覚し、しかもステージ4の進行で余命3カ月を宣告されました。

 

それでも「廣中邦充」和尚は、自身の言葉「逃げれと追われるぞ」「半歩踏み出せ」をもっとうに、闘病中でも子供達に手を差しのべるために、全国での講演活動を行なっていました。

 

しかし、2017年には言葉もうまく発せらなくなってしまいます。

 

2019年4月16日に68歳で永眠されるまで、子供達に限らず、たくさんの関わる人達を救ってきたのではないでしょうか。

 

著書も数冊出されていますので、子供を持つ親御さん達には是非読んで頂きたいと思います。

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