こんにちはSMOKERです。
現代社会において、弦楽器と聞くとギターをイメージする方は多いのではないでしょうか。
では、弦楽器の「琵琶(びわ)」と聞いてどんなイメージをされるでしょうか?
私にはどうしても、怪談の「耳なし芳一」をイメージしてしまいます。小さな頃に琵琶法師が耳を取られてしまうインパクトが強すぎて今尚そのお話しは頭に残っております。
今の社会の人達には、鬼滅の刃の鬼「鳴女(なきめ)」をイメージされる方も多いのではないでしょうか。
その「琵琶」の中でも「筑前琵琶」の音色に魅せられ「筑前琵琶」の修復師になったイタリア人「ドリアーノ・スリス」さんが、どんな方なのか気になりました。
では、イタリアに生まれ「筑前琵琶修復師」にまでなった「ドリアーノ・スリス」さんに迫ります。
ドリアーノ・スリスさんの人物像。
Doriano Sulis, an Italian-native artisan of Chikuzen biwa (Japanese lute), has launched a crowdfunding project to save the traditional instrument from… Read more: https://t.co/LDq2VpH9RY #biwa #japaneselute #traditional pic.twitter.com/kM3PyA9ANv
— Fukuoka Now (@FukuokaNow) June 9, 2020
1947年サルデーニャ島・ヌオロ県出身 73歳(令和2年現在)
生まれてすぐにローマに移り、日本に発つ27歳まではローマで過ごしたという「ドリアーノ・スリス」さん。
国立ローマサンタチェチリア音楽アカデミークラシックギター科を専攻。
人形劇団の友人から人形遣いの代役を頼まれ、オテーロサルツィ人形劇団に入団。
「人は1回しか生きていけない。やりたい事をやれ、と両親よく言われていた」こともあり、興味が湧いたらやってみる性格だという「ドリアーノ・スリス」さんは、1971年に独立し、「ドリアーノ人形劇団」を設立。
劇団のメンバーと人形を制作しながら、脚本と演出を手掛けたといいます。
イタリアの人形劇は見た事はありませんが、小さな頃に見た夢のある人形劇は、いくつになっても楽しめるのではないでしょうか。
また「ドリアーノ・スリス」さんの文化を継承する行動は若かれし頃から変わらない事が伺えますよね。
ドリアーノ・スリスさんが日本に来たきっかけ。
@mainichi 新聞に掲載させていただきました🙇♂️😁
唯一の職人はイタリア人 筑前琵琶「日本人が継いで」https://t.co/UA3i85k17p#芸術 #文化 #イタリア 🇮🇹 #日本 🇯🇵 #楽器 #職人 #琵琶 #伝統 #マエストロ #修復 #消えゆく伝統楽器 #筑前琵琶 #よみがえれ筑前琵琶
— イタリア会館福岡 (@italiakaikan) May 28, 2020
劇団をしながら、友人の家具工房で16世紀から17世紀のルネサンス様式家具を修復する手伝いもされていた「ドリアーノ・スリス」さん。
工房に「ドリアーノ・スリス」さんが人形劇用に作った「手」がいくつか壁面に飾ってあったそうです。
それを見ていた日本人女性が今の奥さんになったそうです。(初めて東洋人の女性と会ったとか)
奥さんとは帰国後も文通を続け、再びローマに来た時にご結婚され、2年後に揃って日本に来たそうです。
どこで、出会いがあるかなんて分かりませんよね!古い言葉で言うと「赤い糸」で結ばれていたのかもしれません。
筑前琵琶とは?
日本には5種類の「琵琶」が存在するといわれます。
「雅楽琵琶(楽琵琶)」、「盲僧琵琶」、「平家琵琶」、「薩摩琵琶」、「筑前琵琶」の5種類となっております。
その中の「筑前琵琶」は、明治中期、筑前盲僧琵琶の演奏者を父に持つ「橘智定(たちばなちてい)」によって、薩摩琵琶や三味線などの要素を取り入れて始められた新琵琶楽。
楽器は桑の木に銅の板を嵌めてあるため、薩摩琵琶に比べて優しい音色で、撥は三味線のものに近い形になっています。
素人目には、「琵琶」と「三味線」の合いの子みたいなものでしょうか!
ドリアーノ・スリスさんの師匠。
引用:FIAT
「ドリアーノ・スリス」さんと「琵琶」との最初の出会いはラジオだったそうです。
時代を感じてしまいますが、「琵琶」の音色を聞きギターや他の弦楽器とは全く違う不思議な音色に、どんな楽器がこの音色を生むのか?胸を躍らせたといいます。
そして来日した次の年には、当時日本にただ1人の「筑前琵琶職人・吉塚元三郎」さんを訪ねたそうです。
軽い気持ちで「教えて下さい」と言ったそうですが、師匠の「吉塚元三郎」さんは、真剣に「明日から来い」と「琵琶修復師」の道が決まったといいます。
師匠の「吉塚元三郎」氏は、福岡県無形文化財保持者でもあり、最後の日本人「筑前琵琶職人」でした。
伝統ある職人の後継者不足は、深刻な問題でもあると感じます。もっと沢山の人達に知ってもらいより良い文化を後世に残せるようにしなければと改めて思わされました。
伝統工芸「金継ぎ」とは?
ドリアーノ・スリスさんに弟子は?
師匠が他界して「最後の修復師」となった「ドリアーノ・スリス」さんではありますが、ご本人も73歳となり、自分が弟子入りした頃の師匠と同じ立場になったと感じているそうです。
そして「技術をつながなければ!」と思い、クラウドファンディングで資金を集め、「琵琶館」と名付けた工房教室の開設を計画されています。
2021年には、ライフワークとして運営してきた交流施設「イタリア会館・福岡」(福岡市中央区今泉)の隣りに完成予定となっています。
その活動により2人のお弟子さんと、琵琶について学びたいと十数人が集まったそうで、道具の使い方から修復の方法まで、3年ほどで習得させるようです。
後継者が出来た事がなによりであり、後継者達の今後の活動も楽しみですよね!
実際の琵琶は、歴史資料館などでしか見た事がない私ですが、「琵琶」に触れてみたい、そして音色を直に聞いてみたいと思わされました。
いかがだったでしょうか。
イタリア人の「ドリアーノ・スリス」さんが、「筑前琵琶」の最後の職人といった事も驚きではありますが、それまで後継者が出来ていない事にも驚きでありました。
弦楽器の「琵琶」がどのようにどこで作られているかも知らない人達が多数かと思いますが、こういった技術が失われないように、もっと世間に知れ渡らなければならないと感じます。
今後お弟子さん達にも、新たに「筑前琵琶」の良さを伝えて頂きたいと思います。
最後までお付き合い頂きありがとうございます。
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