こんにちはSMOKERです。
日本三名園といえば、石川県金沢市の「兼六園」岡山県岡山市の「後楽園」茨城県水戸市の「偕楽園」と素晴らしい庭園があります。
季節によって様々な顔をもつ庭園には、その綺麗な情景を保つために、沢山の職人さんが携わっているのではないでしょうか。
勿論一般家庭においても、情緒あるお庭を持つ家が沢山あります。
その「庭」を常に綺麗に保つためには職人「庭師」による仕事がとても大切になってきます。
そして「庭師」の仕事によって庭園の情景はガラリと変わる素晴らしいお仕事かと思います。
そんな日本の文化に興味を持ち、日本に帰化してまで「庭師」として日本庭園を伝えていく、スウェーデン生まれの「村雨辰剛(むらさめたつまさ)」さんとは?どんな方なのでしょうか?
NHKの筋肉体操に「武田真治」さん「小林航太」さんと共に出ていた「村雨辰剛(むらさめたつまさ)」さんに迫ります。
村雨辰剛(むらさめたつまさ)さんとは?
☀️🌱 pic.twitter.com/w0cgOpWjnH
— 村雨 辰剛 (@MurasameTatsu) August 2, 2020
1988年7月生まれのスウェーデン出身 32歳(令和2年現在)
本名:ヤコブ・セバスティアン・ビヨーク
出身:スウェーデン・スコーネ県のオルケルユンガ
職業:日本の男性庭師・タレント
身長:182cm
血液型:O型
趣味:筋トレ・肉体改造・盆栽。
幼い頃に実の両親が別れる事となり、実の母とスウェーデン空軍のパイロットの継父に育てられたそうです。
継父の影響でスウェーデン軍のレンジャー部隊へ入隊する事を考えながら、中学校の世界史の授業で日本に興味を持ち、チャットによって日本語を勉強していました。
16歳の時に初めて日本へ、ホームステイ先が何代も続く旧家でもあり、伝統的な生活を体験。
レンジャー部隊を合格するも入隊を辞退し日本へ移住。
世界史の授業で日本の戦国時代や武将・武士道に魅了された事だけで日本に移住するとは、私達日本人に少したりない行動力かもしれませんね。
未来ある若者達は、興味を持った事にとことん向き合い追求していって欲しいと思います。(自分にも言いたい・・)
村雨辰剛さんは、日本に移住後、スウェーデン語や英語の語学講師として生活していましたが、日本古来の文化に携わりたいとの事から、造園業に飛び込みアルバイトをしていました。
その後、「徒弟制度」への憧れもあったこともあり、数十社断られたのちに、「加藤造園」に採用され、庭師の徒弟になりました。
2015年26歳の時に日本国籍を取得。
日本の文化に興味を抱いて「庭師」になるとは、カッコ良すぎます・・。
容姿端麗でもあり、発想も男前の「村雨辰剛」さん。男性目線からでも憧れる人は多数おられるのではないでしょうか。
村雨辰昌さんの親方は誰?
引用:http://www.highflyers.nu/bs/tatsumasamurasame/
村雨辰剛さんは、造園業が盛んな場所で何社も当たるも、徒弟制度の所は少なくハローワークにまで足を運び、そこの担当の方から親方の「加藤剛」さんに出会いました。
庭師のような美学要素が多い仕事は、教科書やマニュアルで学べるものではないので、徒弟制度はすごく効率の良い制度だと言います。
衣食住を共にする事での信頼関係や親方「加藤剛」さんに朝から晩まで、色々な事を学ぶ良い体験だったと村雨辰剛さんは言います。
世界的にも行われている「徒弟制度」は今の時代は少なくなったと思います。IT先行の時代ではありますが、昔ながらの仕事の取り組み方も文化として残して欲しいものです。(いざ私がとなると自信がありませんが・・。)
村雨辰剛さんの家族は日本に?
砂紋引きの指導を受けました。😊 https://t.co/nBTQZ0oK6C pic.twitter.com/ngPdRs8Nxl
— 村雨 辰剛 (@MurasameTatsu) March 26, 2020
村雨辰剛さんは、2016年に帰化されていますが、ご家族も日本におられるのか?というと、ご両親は、スウェーデンで生活されているようです。
元軍人でもある継父からは、帰化するにあたって「日本が戦争したら、日本のために戦えるのか?」と聞かれたそうです。
継父のなんとも誇り高き軍人の質問の様に、時代が変わっても祖国のために戦えるのか?の質問には、ものすごく重みを感じます。
しかし、その質問以外はあっさり日本に帰化する事を認めてくれたそうです。
同じくミステリーハンター
村雨辰剛さんの名前の由来は?
村雨辰剛(むらさめたつまさ)さんの名前の由来は、元の名前に当て字を使ったものにはしたくないと帰化する前から考えていたそうです。
日本名にすると決めていた村雨さんは、自分で決めるよりも、ご縁のある方に名前を付けて貰おうと考えた末に、親方「加藤剛」さんに頼みます。
親方「加藤剛」さんのお父さんが、歴史小説家の村雨退二郎の名字が好きだった事もあり、その「村雨」が名字となりました。そして辰年の「辰」と親方の名前の「剛」をかけて「辰剛」となったそうです。
名字は少し安易な考えかもしれませんが、名前に関しては、親が子供に付ける時の名前の感覚と変わらないと感じました。一生使う名前ですので、簡単には言いますが、本当はすごく考えられていたのではないでしょうか!
いかがだったでしょうか。
日本人よりも日本の文化に惚れ込んで、「庭師」として「日本庭園」を継承していきたいと考えている「村雨辰剛」さん。
日本のわびさびの精神を、忘れかけている今の日本にもう一度、思い起こさせるために今後の活躍を応援していきます。
最後までお付き合い頂きありがとうございます。
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